人は変えられないが自分は勝手に変わる

人間思うようにうまくいかない方が多いことはもちろん、一番は他人の性格を変えようと努力するのが一番不毛な結果を生みやすいという事に気がつくことは結構あるんじゃないかと思う。

実際、意思決定は自分自身にしかないものなのだから当然といえば当然だけれど、いろんな情報が飛び交う中で自己啓発的な本や記事を見てしまうとなんだか伝道者にでもなったかのように人を変えられるんじゃないか、その能力が自分にはあるんじゃないかと思い込んでしまう。もちろん実力があれば多少他人に影響を及ぼすことができるかもしれないが、ほとんどの自己啓発な記事の読者にそんな能力はないし、そういう影響力の強い奴の近くにいるとあまりのパワーに振り回されてしまう事になる。当たり前の水準のギャップはあるし、なおかつ向こうは呼吸しているかのように習慣の一部になっているから、なんで文句を言われているのかわかんないくらいの溝がある。

自分の経験から考えてみると、働くことと大学に行くことで生活習慣が激変したことによって自分が変わったことと周りが変わんないことを痛烈に感じたことがある。高校時代までは整理整頓することは皆無だった紙類は床に散乱しているな部屋だったけれど、大学に入ってからは様々な制限が解除になった代わりに自分で解決しないといけないものが格段に多くなったおかげで、部屋には必要最低限のものと大切なものに限定したり、少しでも散らかると掃除をしたりするようになって、ふとそういうことは自分の意思で変えようとは思ったが、今では無意識にそういうスタイルが定着しているのであんまり努力しているという実感もないということは振り返ると少し驚きだった

その後の周りも見方も整理整頓が仕事をするのが当たり前な水準から考えると、今まで礼儀がきっちりしていなかったり、大人のように振舞っているつもりでもやっていることはこともの背伸びみたいなものだったということを自分はしていたのかという発見をして、それは周りの大人からは「まだまだ子供だ」と言われて当然だと言われることに納得をした。

要するに、自分がどのように見られているのかを知って自分自身を変えることができないのに人様を変えようなんておこがましいことはできないってこと。それに、怠惰になるのも勤勉になるのも自分の意思が尊重できるってこと。

少し蛇足を加えると、人間の行いの中で一番難しいのは心から感謝することなんだと思う。それにはお金の尺度はないし、プライドが高くて認めたくないというパターンもあるけど、ほんの些細なことでもありがたいと思うことができると勝手に周りが変化するのだと思う。周りから見てもどん底なほど不幸な状態というのは自分の気持ちがフリーズしてしまって、自分は不幸じゃないって思い込みたいけど他人に感謝することも拒否したくなってドツボにはまってしまうことが多いから。少しでも他人に感謝できるようになると不幸な状態は自分の意思で解決できる時期が近いという一つの要素でもあるのかもね。

案外理由はわからないけれどムッとする大人の言葉はちゃんと覚えておくことがいいと思うよ。時間が経って向き合えるとに言われたことの重要性がわかるから

恋と一緒で好きと嫌いは変換できるみたいだからさ

なんちゃって社会人(1年目?)
趣味はプログラミングと読書、ギターにボーイスカウトと色々
ニックネームはつかぱい

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