努力しないという選択肢は簡単だが無力感が倍増する

春眠暁を覚えずというくらい春になりました。
某太陽神が帰ってきたおかげかもしれないですが(笑)

人間努力だの習慣だのと結構いろんな自己啓発本が流通していますが、正直な人間の本音としては「人間努力は基本的に嫌いだからなんとか楽しよう」という感じなんじゃないかなと思います。もちろん努力を否定しているわけじゃなく、結局のところ承認欲求で努力しているうちは客観的な評価として努力しているとみられないということを少し言いたいだけなんですけどね。

口に出して「自分は努力している」って言ってるうちは口よりも手を動かせよおまえ…って思ってるので、できるだけ速やかにそんなこともあったなぁという過去にしてしまってなんとなく力まず続けている状態になると周りからはよくわかんないけどなんか態度が変わるという現象になるってわけですよ。もちろん周囲の人間の考え方とかはそんな大して変わっているわけじゃないですが、自分の視野に余裕ができた分そういうふうに見えるようなるみたい。

結果的にいってしまえばなるべく力まずやるにはどうすればいいのかを工夫してる段階のことを努力っていうんじゃないですかね。結構自分自身も周りの人間もそういう状態になることが多いですが、鉄は熱いうちに打つけれども人間は冷めてから近寄った方が、変に人間関係も崩れず、適度な距離感も出来るので近づく前には少しその人が関係しているものでホットな状態の案件を抱えていないかだけは、どんなにいい人でも見定めは必要なのかなと思います。

まあ、努力と認められるのにはラグもあるし、尋常じゃない積み重ねの結果しか人間見れないので、努力の方向は他人を意識しないでいいものが一番ベストなんじゃないかなと思います。もし他人の評価が関係するものは自分の期待の3割くらいだっけことはあらかじめ認識しておくと最終的な結果とか評価を見たときに精神的にくるダメージが多少は少なくなって救われる気分になるので心の隅っこくらいにはそういう風に考えておくのもいいかもしれないです。

なんちゃって社会人(1年目?)
趣味はプログラミングと読書、ギターにボーイスカウトと色々
ニックネームはつかぱい

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